日記・コラム・つぶやき

2017年6月18日(6月第三聖日)

6月第三週召天者記念礼拝をささげました

ペテロの手紙第一4章よりみことばを聴きました
「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」(ペテロの手紙第一4章10節)

昨年度は二人の兄弟姉妹が天に召されました。召天者記念礼拝は 先に主のもとに帰えられた方を偲び、その信仰に続く者として歩む思いを新たにする機会となりました

※ ♪永遠の安き来たりて ああその朝 悩み多き夜は去るああその朝……ああその朝救い主にわれら会わん♪(聖歌630番) 再臨の讃美歌ですが、私の葬儀の時に歌ってほしいと思っています

(講壇のお花:純白のトルコキキョウ そっと覗いているのはアリウムの一種でしょうか)

2017年6月11日(6月第二聖日)

6月第二週の礼拝をささげました
ルカの福音書12章よりみことばを聴きました

「あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。」(ルカ12章34節)

本当にその通りだと思わされるみことば。自分が何を大事にし何に重きを置いているか、いつも試される。主を愛すると言いながら、それよりもはるかに時間もお金も自分の心も他の物に費やしている。
地上の宝に囚われ、神のことを忘れてゆく あなたはどこに宝を置くのか、どこに目が向いているのかとの主の問いかけが聞こえる

※暑くなる前にと思い教会の小さな庭の除草と枝落としをしました。集めた草や枝を袋に詰めて片付けようとしたとき、足元に3㎝ほどの昆虫が一匹。びっくりして一歩退いた私でしたが、相手も驚いた様子であたふたと走り出し玄関の土台のわずかな隙間を見つけてもぐりこんでいきました。とっさの出来事でしたが、後で調べてみたらゴマダラカミキリ(胡麻斑髪切)という名前の昆虫でした。カミキリ君はきっと庭の木の枝にのんきに止まっていたら切り落とされ袋に入れられ生きた心地もしなかったんだろうなと思うと、ちょっぴり気の毒になりました。また居心地の良いところを見つけて長生きしてね!と思ったことでした。



(講壇のお花:バラ カーネーション カスミソウそしてアリウムでしょうか 爽やかな一揃い)

2017年6月4日(6月第一聖日)

6月第一週ペンテコステ礼拝をささげました

使徒の働き第四章よりみことばを聴きました

「この方以外には、だれによても救いはありません。天の下でこの御のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」(使徒の働き4章12節)

主の十字架の前夜 主を裏切り否定したペテロが 数と力で押し切ろうとする人々を前に今は堂々とイエス・キリストを証言している
聖霊なる神は 弱い者をも強めてくださり 主を証しするものへと変えてくださる






(講壇のお花:大輪のシャクヤク 花びらの重なりに見られる微妙な色彩のグラデーション)

2017年5月28日(5月第四聖日)

五月第四週の礼拝をささげました

サムエル記第一18章よりみことばを聴きました
「それでサウルは、ますますダビデを恐れた。サウルはいつまでもダビデの敵となった。」(サムエル記第一18章29節)

主の前に自らがどうあるかを思うより 自分の地位や体面を保つことのみを考えてしまったサウル ついにはダビデを敵視するまでになってしまった

神の恵みの前にひれ伏す そのことを忘れたサウルの姿から私たちは学ぶことができる 

(講壇のお花:デルフィニウム ブルーの濃淡が青い炎のように美しく いつまでも見入ってしまう大好きな花と色彩です)

2017年5月21日(5月第三聖日)

五月第三週の礼拝をささげました

ルカの福音書12章よりみことばを聴きました

野にあって誰にも見向きもされず しかも明日は炉に投げ込まれるような花さえ主は美しく装ってくださっている
「ましてあなたがたには」と 何を食べようか何を飲もうかと常に心配しているわたしたちに主は言われる

「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」(ルカの福音書12章31節)







(講壇のお花:トルコキキョウとスターチス)

2017年5月14日(5月第二聖日)

五月第二週の礼拝をささげました
ルカの福音書12章よりみことばを聴きました

「それから弟子たちに言われた。『だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。』」(ルカ12章22節)

富に執着し金銭を愛する「富める農夫」の例えの話の後で 主は「だから」と話し始められた

主の弟子であっても 富への誘惑は同じ 「信仰のみ」と言っても目の前の現実は厳しい
先行きの不安 生活の心配 それらに対して主は 心配いらないと言われる

富に自分の安心をゆだねる富める農夫を愚かと思う私たちも実は 何を食べ何を着るかと心配していることにおいては 同じものである
主が私たちの小さな心をもご存じで 心配してくださる その信仰こそを求められている 



(講壇のお花:カーネーション 今日は母の日)

2017年5月7日(5月第一聖日)

五月第一週の礼拝をささげました
ルカの福音書12章よりみことばを聴きました
「しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか。』」(ルカ12章20節)

有り余る富が安心の材料だった金持ちの農夫は 自分のいのちさえも自分で自由にできると考えていた
しかし 主は「愚か者」と言われる どんなに豊かな富を持っていても 人は神に向かわなければ安心を得られない

 

※来週の日曜日は「母の日」 教会学校では恒例の母の日プレゼントの花束を用意しています


(講壇のお花:カーネーションとカスミソウ 最強コンビ?)

2017年4月30日(4月第五聖日)

4月第五週の礼拝をささげました

サムエル記第一18章よりみことばを聴きました
「サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。」(サムエル記第一18章12節)

ダビデとサウルの違いを物語るのは「主が共におられるか否か」 主が共におられることこそが大切 
主の救いを受けながら主の業を喜べないなら これほど悲しいことはない 




(講壇のお花:教会の庭に咲いている花々
都わすれ ピンクと白の撫子 葉ボタンの花 ビオラ カーネーションだけはお花屋さんのもの庭に咲いている花は素朴な色だけどとても瑞々しい)

2017年4月23日(4月第四聖日)

4月第四週の礼拝をささげました

ルカの福音書12章よりみことばを聴きました
「そして人々に言われた。『どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。』」(ルカ12章15節)

富に心奪われる 生々しい人間の現実 持つものが多ければ多いほど心配はなくなると思いがちな私たち
しかし主は「その人のいのちは財産にあるのではない」と言われる 自分の心をこそ見張り警戒する必要がある





(講壇のお花:ガーベラとデルフィニウム)










2017年4月16日(4月第三聖日)

4月第3週 イースター礼拝をささげました

マルコの福音書15章よりみことばを聴きました

「アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。」(マルコ15章43節)

心ならずもイエスの十字架刑に同意してしまったアリマタヤのヨセフ その良心の痛みから「思い切って」イエスのからだの下げ渡しを申し出て イエスの埋葬に走った
できる限りのことをしても なお罪は責められ 心は痛むのみ
しかし主はよみがえられた アリマタヤのヨセフは主の復活により罪の赦しが与えられた

※礼拝後は祝会 ポトラックの食事を皆さんで楽しみ その後恒例となった近隣の介護施設での賛美のボランティアに行きました。 今年はグループホームでの奉仕となりました。童謡を全部諳んじて歌っていた女性がいました。子供のころに馴染んだ歌はいつになっても忘れないんですね。嬉しくなりました。





(講壇のお花:イースターにふさわしい色鮮やかな花々)

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