日記・コラム・つぶやき

2017年10月15日(10月第三聖日)

10月第三週の礼拝をささげました

サムエル記第一20章よりみことばを聴きました
「どうか、このしもべに真実を尽くしてください。あなたは主に誓って、このしもべと契約を結んでおられるからです。もし、私に咎があれば、あなたが私を殺してください。どうして私を父上のところにまで連れ出す必要がありましょう。」(サムエル記第一20章8節)

主に従っているのにどうしてこのようなことが と思うことがある

サウル王から命を狙われているその苦しいさなかに ダビデは共に主に誓った者としてのヨナタンが備えられていた

主にある幸いな人間関係 今の私たちにもそれが与えられれば幸いである



(講壇のお花:トルコキキョウ 冴え冴えとした青と白の美しい花)

2017年10月8日(10月第二聖日)

10月第二週の礼拝をささげました

ルカの福音書13章よりみことばを聴きました
「いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。」(ルカ13章30節)

神の国に入るには人間的価値は一切問われない。ただ神の恵みによって
しかも「東からも西からも また南からも北からも」 余すところなくどんなところからも 人種 身分 民族 階級を超えて集まってくる

この世界の分類と違うもう一つの分類 救いの絶対的恩寵性が語られている




(講壇のお花:ススキはやっぱり秋の主役ですね)

2017年10月1日(10月第一聖日)

10月第一週の礼拝をささげました

「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。」(ルカ13章24節)

主は「狭い門から入りなさい」と言われる 利己的な思い 物欲 名誉欲をもってはくぐれない そしてそこに入るには戦いがあり困難が待ち受けている

主と一緒に食事をし 自分の場所に招いて話も聞いた 世間的に見れば正しい立派な人たち しかしそう主張する人に対してそれが救いにはならないと主は言われる

救いは一方的に神の恵みによる そして主に従う者には困難もあるが主は助けてくださる 





(講壇のお花:ススキとリンドウそしてケイトウ 秋の定番のお花たち)  

2017年9月24日(9月第四聖日)

9月第四週の礼拝をささげました

サムエル記第一19章よりみことばを聴きました

ダビデを殺害しようとしたサウルの行為を 神は拒まれた
主に背を向け続けるサウルの悲惨な姿 そこに罪の恐ろしさ 罪がもたらすものを見る
主の霊の働きに目が開かれることこそが必要である




(講壇のお花:白菊 秋の訪れを思う)

2017年9月17日(9月第三聖日)

9月第三週の礼拝をささげました

ルカの福音書13章よりみことばを聴きました
「神の国を何に比べましょう。パン種のようなものです。女がパン種を取って、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。」(ルカ13章20、21節)

一握りのパン種が粉を膨らませて大きなパンとなる
主は弟子たちの小ささをご存じで からし種の例えについでもう一度 始まりは小さなものでも大きくなることができると励まされる

ガリラヤの片田舎の貧しい者たち この弟子たちのパン種が やがて世界を変えていった

※『夕暮れ時に光がある…そんな介護を目指して』と題して行われた、午後の講演会には外部から9名の参加者が与えられ 質疑応答も含め充実した時を持つことができました
教会としてできることは何なのかと 今後も考えていきたいと思わされました

2017年9月10日(9月第二聖日)

9月第二週の礼拝をささげました

ルカの福音書13章よりみことばを聴きました。
「それはからし種のようなものです。それを取って庭に蒔まいたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」

どんなものよりも小さな「からし種」 しかし生長すると空の鳥を宿すほどの大きな木となる

自らの小ささに恐れる私たち そしてこの国の教会 しかし主はそれで良いと言われる
主が「自分の庭」で「手をかけて」育ててくださると言われる

私たちは自分を「もっと~であったら もしこうでなかったら」と考えるが主は からし種で そこから始めて良いと言われる  

※次聖日午後2時より 「夕暮れ時に光がある……そんな介護を目指して」と題して講演会を行います。講師は川口キングス・ガーデン橋村あゆみ施設長です。地域貢献の一環として行います。介護に関心のある方が多く来られることを祈っています。




(講壇のお花:トルコキキョウとハナトラノオ 白と薄紫の美しさ)

2017年9月3日(9月第一聖日)

9月第一週の礼拝をささげました

ルカの福音書13章よりみことばを聴きました
「この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからと言ってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」(ルカ13章16節)

イエス様に反対する人々は 十八年もの間病に縛られていた娘を「安息日にいやした」と言って非難した
主は「あなた方は家畜が井戸に落ちた時に安息日であっても救い出すではないか」と問われる ましてこの女は十八年もの間苦しんでいた あなた方と同じアブラハムの祝福を継ぐ人なのですと

主の前には 自らの正しさを主張する人ではなく あわれみを求めるその弱さを持つ人こそが求められる



(講壇のお花:ハナトラノオ 懐かしく素朴な花 田舎の家の庭に沢山咲いていた大好きな花)

2017年8月27日(8月第四聖日)

8月第四週の礼拝をささげました

サムエル記第一19章より「顕にされるもの」と題してみことばを聴きました

「サウルはミカルに言った。『なぜ、このようにして私を欺き、私の敵を逃がし、のがれさせたのか。』ミカルはサウルに言った。『あの人は、「私を逃がしてくれ。私がどうしておまえを殺せよう」と私に言ったのです。』(サムエル記第一19章17節)





(講壇のお花:トルコキキョウとワレモコウ)

2017年8月20日(8月第三聖日)

8月第三週の礼拝をささげました

ルカの福音書13章よりみことばを聴きました。
「番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。』」(ルカ13章8節)

ブドウ園に後から植えられたイチジクの木。実がなることを期待されていたのにならなかった。

実を結ぶことを期待されるクリスチャン。もし実を結ぶことができなかったら……
イエス様はブドウ園の番人のように、私たちを手塩にかけて育ててくださる。そして私たちのためにとりなしてくださる。

(講壇のお花:凛とした組み合わせの花 そこにあるだけで涼やかさを感じさせる)

2017年8月6日(8月第一聖日)

8月第一週の礼拝をささげました
ルカの福音書12章よりみことばを聴きました
「偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。」(ルカ12章56節)

天気の急変には目ざとい人々も 自らの罪には無関心

自分は長い間無関心でほったらかしにしていたその罪を 主は最後のわずかな時にも熱心に救おうとされる

主はただ彼をあわれまれるだけでなく ご自分を十字架につけて その罪を身代わりに負ってくださる

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