日記・コラム・つぶやき

2018年9月9日16月第三聖日)

9月第三週の礼拝をささげました
 
サムエル記第一24章よりみことばを聴きました
「どうか主が、さばき人となって私とあなたの間をさばき、私の訴えを取り上げて擁護し、正しいさばきであなたの手から私を救ってくださいますように。」(サムエル記第一24章15節)
 
サウル王を手にかけることのできる機会があるにもかかわらず ダビデは何が主に従う者にふさわしいかを考えていた
「主が裁いてくださる」 それが自らの歩みを主にゆだねているダビデの信仰だった
ダビデは日々の訓練の中で信仰が育てられていた
 
 
 
 
 
(講壇のお花:トルコキキョウ カーネーション 紫の小菊は友禅菊 雅な名前の通りの花)   

2018年9月9日9月第二聖日)

9月第二週の礼拝をささげました
 
ルカの福音書18章よりみことばを聴きました。
「一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』」(ルカ18章13節)
 
「自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下してる人たちに、イエスはこのようなたとえを話を話された。『二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人でもう一人は取税人であった。』」とはじまる今日の個所
イエス様は 神にあわれみを乞うことしかできなかったこの人を正しいとされた
「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」
 
 
 
 
 
 (講壇のお花:トルコキキョウとハナトラノオそして吾亦紅)

2018年9月2日9月第一聖日)

9月第一週の礼拝をささげました
 
ルカの福音書18章よりみことばを聴きました
「まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのためにさばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか。」(ルカ18章7節)
 
「神を恐れず人を人とも思わない不正の裁判官」は 何度もやって来て訴えるやもめを「うるさくて仕方がないから」という理由でその訴えを取り上げ裁判をしてあげることにした
 
この例えを語られた後 「まして神は」とイエス様は続けられた
神に愛され選ばれている者 しかしだからこそ戦いも多い 昼も夜も神に叫び求めなければならないほど悩み苦しみが多い
どうして彼らの訴えを聞かずにいられようか との神の声が聞こえる
 
 
 
 
(講壇のお花:ヒペリカムの赤い実と大輪のカーネーション)

2018年8月19日8月第三聖日)

8月第三週の礼拝をささげました
 
サムエル記第一23章よりみことばを聴きました
「サウルとその部下が、ダビデとその部下を捕らえようと迫って来たとき、一人の使者がサウルのもとに来て、『急いで来てください。ペリシテ人がこの国に襲いかかって来ました。』と言った。」(サムエル記第一23章26b~27節)
 
ダビデを捕らえようと躍起になるサウルはジフ人からダビデの居場所を聞いて出陣した
ダビデに対する主の導きが全く見えていないサウルとジフ人
絶対絶命のダビデ ダビデを倒せる絶好のチャンスが訪れたまさにその時 サウルは国に帰らざるを得なかった
自分たちの思惑の中で動いていたサウルとジフ人 主のみこころを求めその中で物事を見ているか それが問われている
 
 
 
 
 
 
(講壇のお花:純白のデンファレの美しさ)              
        

2018年8月12日8月第二聖日)

8月第二週の礼拝をささげました
ルカの福音書17章よりみことばを聴きました    
 
「同じところで臼をひいている女が二人いると、一人は取られ、もう一人は残されます。」(ルカ17章35節)
 
主の再臨の時 同じことをしている二人のうち一人が救われ 一人が裁かれる
事は人の何かによるのではなくただ主の一方的な恵みによる
主を信じているか否か それだけの違いだった
大きな事をしているわけではない できることは小さくても今与えられていることを誠実に行えば そんな者でも主を信じるゆえに救いに与れる
 
 
 
 
(講壇のお花:不思議な形の 多分紫陽花だと思われる花)

2018年8月5日8月第一聖日)

8月第一週の礼拝をささげました
 
ルカの福音書17章よりみことばを聴きました
「自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます。」(ルカ17章33節)
 
このみ言葉は 主に従う者たちの大原則 けれどいざという時人は何を第一とするか
ロトの妻のように最後の最後まで人は金品を失うまいとする それが人間の本性
主に従う弟子たちは 何もかも捨てて命を得ることを求められる―主に似たものと変えられる
主がまずすべてを捨てて私たちと同じ姿になってくださった そしてその主が弟子たちを心配してくださる
 
 
 
(講壇のお花:リンドウの深い青)     
  

    

2018年7月29日7月第五聖日)

7月第五週の礼拝をささげました
 
ルカの福音書17章よりみことばを聴きました
「ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。」(ルカ17章27節)
 
人の子の日…キリストの再臨そして審判の日 神の国の完全な成就の日…は ノアの日に起こったことと同様だと主は言われる
いつもの生活が繰り広げられ 何事もなく何も変わっていない 人々の目にそのように見える日々 そこに神の国の到来主の再臨はあると ノアのように神のことばを信じ神に従い続けて歩む日々こそが主の再臨に備える道だと知る
 
 
 
(講壇のお花:濃淡ピンクのガーベラ この時期はお花も試練の時 美しく咲いてくれています)
 

2018年7月22日7月第四聖日)

7月第四週の礼拝をささげました
 
ルカの福音書17章よりみことばを聴きました
「神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17章21節)
 
パリサイは ツァラートのいやしに神の国の到来の意味を見抜いていた
しかし イエスに敵対する者であったがゆえにイエスを理解しようとせず その信仰をゆがめてしまった
苦しみ打ちひしがれた人を助ける……人の救いから神の国は始まっている
主イエスの来られるところに神の国は到来し成就している
 
 
 
(講壇のお花:カーネーション・名前を知らない黄色の花は田舎の庭に咲いていた懐かしい花です)  

2018年7月15日7月第三聖日)

7月第三週の礼拝をささげました
 
サムエル記第一23章よりみことばを聴きました 
「サウルの息子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに行って、神によってダビデを力づけた。」(サムエル記第一23章16節)
主はダビデの逃亡の旅すべに亘って守ってくださっている
ヨナタンは危機的な状況の中にあっても 共に主にある者として 自らの危険をも顧みずダビデを訪ねた
主の御心を確信して 主に従いとおしたヨナタンの歩みは 信仰者としての模範
 
 
 
(講壇のお花:グロリオサ 白い花の名は何というのでしょうか)

2018年7月1日7月第一聖日)

7月第一週の礼拝をささげました
ルカの福音書17章よりみことばを聴きました
 
「あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。」(ルカ17章10節)n
 
「何度でも赦す」ことはとても困難なこと 弟子たちは「私たちの信仰を増してください」と主に願った それに対して主は「からし種ほどの信仰」があればと言われた
問題は信仰の大小ではなく それを用いること
しもべは主人のために働くことは当たり前 私たち信仰者もその信仰を用いて主の働きを担うことが求められている
主はそんな私たちをまず祝福してくださりその後従いなさいと言われる
「なすべきことをしただけです」と主に告白するものとなりたい
 
 
 
 
(講壇のお花:大輪のガーベラとバラ ヒゴタイそしてカスミソウ それぞれに美しく咲いています)

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