日記・コラム・つぶやき

2017年5月14日(5月第二聖日)

五月第二週の礼拝をささげました
ルカの福音書12章よりみことばを聴きました

「それから弟子たちに言われた。『だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。』」(ルカ12章22節)

富に執着し金銭を愛する「富める農夫」の例えの話の後で 主は「だから」と話し始められた

主の弟子であっても 富への誘惑は同じ 「信仰のみ」と言っても目の前の現実は厳しい
先行きの不安 生活の心配 それらに対して主は 心配いらないと言われる

富に自分の安心をゆだねる富める農夫を愚かと思う私たちも実は 何を食べ何を着るかと心配していることにおいては 同じものである
主が私たちの小さな心をもご存じで 心配してくださる その信仰こそを求められている 



(講壇のお花:カーネーション 今日は母の日)

2017年5月7日(5月第一聖日)

五月第一週の礼拝をささげました
ルカの福音書12章よりみことばを聴きました
「しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか。』」(ルカ12章20節)

有り余る富が安心の材料だった金持ちの農夫は 自分のいのちさえも自分で自由にできると考えていた
しかし 主は「愚か者」と言われる どんなに豊かな富を持っていても 人は神に向かわなければ安心を得られない

 

※来週の日曜日は「母の日」 教会学校では恒例の母の日プレゼントの花束を用意しています


(講壇のお花:カーネーションとカスミソウ 最強コンビ?)

2017年4月30日(4月第五聖日)

4月第五週の礼拝をささげました

サムエル記第一18章よりみことばを聴きました
「サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。」(サムエル記第一18章12節)

ダビデとサウルの違いを物語るのは「主が共におられるか否か」 主が共におられることこそが大切 
主の救いを受けながら主の業を喜べないなら これほど悲しいことはない 




(講壇のお花:教会の庭に咲いている花々
都わすれ ピンクと白の撫子 葉ボタンの花 ビオラ カーネーションだけはお花屋さんのもの庭に咲いている花は素朴な色だけどとても瑞々しい)

2017年4月23日(4月第四聖日)

4月第四週の礼拝をささげました

ルカの福音書12章よりみことばを聴きました
「そして人々に言われた。『どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。』」(ルカ12章15節)

富に心奪われる 生々しい人間の現実 持つものが多ければ多いほど心配はなくなると思いがちな私たち
しかし主は「その人のいのちは財産にあるのではない」と言われる 自分の心をこそ見張り警戒する必要がある





(講壇のお花:ガーベラとデルフィニウム)










2017年4月16日(4月第三聖日)

4月第3週 イースター礼拝をささげました

マルコの福音書15章よりみことばを聴きました

「アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。」(マルコ15章43節)

心ならずもイエスの十字架刑に同意してしまったアリマタヤのヨセフ その良心の痛みから「思い切って」イエスのからだの下げ渡しを申し出て イエスの埋葬に走った
できる限りのことをしても なお罪は責められ 心は痛むのみ
しかし主はよみがえられた アリマタヤのヨセフは主の復活により罪の赦しが与えられた

※礼拝後は祝会 ポトラックの食事を皆さんで楽しみ その後恒例となった近隣の介護施設での賛美のボランティアに行きました。 今年はグループホームでの奉仕となりました。童謡を全部諳んじて歌っていた女性がいました。子供のころに馴染んだ歌はいつになっても忘れないんですね。嬉しくなりました。





(講壇のお花:イースターにふさわしい色鮮やかな花々)

2017年4月2日(4月第一聖日)

4月第一週の礼拝をささげました

ルカの福音書12章よりみことばを聴きました

イエス様を信じて歩むとき その信仰のゆえに起きてくるどんな試練にも主は心配しなくて良いと言われる。恐れのあるその時に必要な助けが与えられる。

※今年のイースターは4月16日 その日に向けて今年もハレルヤコーラスの練習が始まっています。アルトがちょっと弱いと特訓を受けました。

(講壇のお花:カンパニュラの淡い藤色が可憐です)

2017年3月26日(3月第四聖日)

三月第四週の礼拝をささげました

「ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』と言った。」(使徒の働き16章31節)

福音を語ったために 投獄という試練にあって 内なる心が強く神へと向かった二人の人物パウロとシラスの信仰から学びました

※本日の礼拝は 一年間奉仕してくださいました神学生の説教でした
礼拝後の食事は 神学生の送別会を併せて行いました 今後の歩みのうえに神様の祝福がありますように



(講壇のお花:大輪のトルコキキョウとカスミソウ)

2017年3月19日(3月第三聖日)

三月第三週の礼拝をささげました

サムエル記第一17~18章よりみことばを聴きました

「ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した。」(サムエル記第一18章1節)

ダビデとヨナタンは 主にある者としての信仰によって結び付けられた
「自分と同ほどに」愛するヨナタンのダビデへの愛 私たちは救いの恵みに入れられた者として互いに愛し合いなさいと命じられている(ヨハネの福音書15:12)

(講壇のお花:ひと際存在感のあるバラ 優しい雰囲気のカスミソウ どちらも好きです)
             

2017年3月12日(3月第二聖日)

 3月第2週の礼拝をささげました

ルカの福音書12章よりみことばを聴きました

1羽では最小貨幣単位の1アサリオンの値もない雀でさえも覚えていて下さり、いつくしんでくださる主

自分で数えることのできない自分の頭の髪の毛の数さえも知っておられる主は 私以上に私のことを知っておられる

私に起こってくることはすべて 主の御手の中にあるなら 主に頼りそのみ旨に歩みたい




(講壇のお花:レースフラワーは近寄ってみると 小さな花の一つ一つが立派な完成品です)

 

2017年3月5日(3月第一聖日)

3月第一週の礼拝をささげました

ルカの福音書12章よりみことばを聴きました

「おおいかぶされているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。」(ルカ12章2節)

私たちは 人の目からはうまく隠したつもりでいても それを「現わされる」方がいる
神の前には すべてのことが明らかになることを知っているのに 隠そうとする愚かさ

 このみ言葉の前に本当に畏れて生きているかと 問われる



(講壇のお花:カーネーション ストック バラ スターチス…)

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